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2013年01月19日

★豊田市郷土資料館特別展 岸田吟香★


2月2日(土)から
豊田市郷土資料館で行われる、
特別展『明治の傑人 岸田吟香』
のご紹介をしますにっこりキラン

先回、ご紹介しました
「麗子像」で有名な画家・岸田 劉生の
お父さん
岸田 吟香(ギンコウ)です!

そして、吟香は挙母藩士であったのです!!

岡山県津山に、
挙母藩(現 豊田市)の飛び地(領地)があり、
その場所に生まれたのが岸田吟香でした元気
青年期に挙母藩士でもあった吟香は、
七州城(現 豊田市美術館附近)で講義した
と、文献にも残っているそうです。


目が痛くなった時、津山出身の医師にヘボン
(元々宣教師として来日。目病を治すとも評判)
を紹介され、見事に完治しその目薬を賞賛。
後には、販売することをヘボンから許可を受けました。

その後ヘボンの依頼で、日英辞典の編纂に関わります。
これは、日本初のものでした!!びっくり

この頃、横浜に駐日米公使ハリスの通訳として
日本に帰国していたジョセフ・ヒコと接触し
英語を習いながら、新聞というものを知ります。

「海外新聞」とし、ひらがな混じりの新聞を発行。
自分で摺り、売ったのもやはり日本初だそうです!!

以降は、江戸と横浜に定期船を運行させたり、

明治3年 新潟で石油発掘、北海道の氷を東京に運ぶ事業を行う
  6年 東京日日新聞に誘われる
  7年 日本軍が台湾に向かうと従軍記者となる
  8年 銀座に「楽善堂」を起こす(目薬を売る)
などなど。

また、盲人の自立を支援する施設が必要と考え
明治13年 築地に「訓盲院」を開きました!

その後も、「楽善堂」を上海など中国にも支店を置き
目薬「精錡水」を売ります。

吟香を頼って、中国に渡ってきた青年達と
この楽善堂は情報交流の場となり、やがては
学校「東亜同文書院」へと発展します鉛筆本

私たちにとっても、身近で重要な歴史的事項に
こんなにも、吟香が関わっていたのに驚きますびっくりキラン

豊田市郷土資料館の方に、見どころ
教えていただきました!

今回の郷土資料館での展示は、
目薬の店「楽善堂」に飾られていた
息子である劉生が描いた、生家の絵の
現物
も展示されます!

劉生が父を描いたものもあります。

また「東京第一名所銀座通煉瓦石之図」
当時のまま、現物となります。
鮮やかな色使い、特に紫が美しいので
見どころの1つです!との事でした目がハートハート

面白いのは、勤めていた、
日報社(東京日日新聞)の階段を上がる
吟香が描かれているところですにっこり音符

他にも、引札(広告のようなもの)も
とても、ユニークで、お洒落
新鮮で目を引くものですひらめいた

目薬の瓶や、和英辞書、新聞も当時のままに
展示されます。

まさに、傑人!!キラン
明治の自由な気風が生んだものでしょうか、
自分の思いに真っ直ぐで、多才で豪傑な吟香。
四男 劉生に受け継がれている所があると感じます。

ますます気になる、岸田吟香。
是非ぜひ、豊田市郷土資料館でご覧になって下さい太陽





Posted by パブリカスタッフ at 12:42│Comments(0)
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